2011.09.10 (シャニム36号掲載)
福島敦子のアントレプレナー対談 No.36
株式会社ジェイアイエヌ◎田中 仁社長 
新たなメガネの価値と機能を創造
「目のいい人」もターゲットに!
株式会社ジェイアイエヌ(東京都渋谷区)
群馬県前橋市を発祥地として、現在は東京都渋谷区に本社を置くメガネチェーン店の運営会社。「JINS」(ジンズ)のショップブランドを軸に、ショッピングセンターなどに118店舗(2011年7月末現在)展開中。2009年に販売を開始した「エア・フレーム」が大ヒットしている。
もともとは1988年7月に服飾・生活雑貨の製造卸を主業務とする有限会社ジェイアイエヌとして設立され、1991年に株式会社へ改組。2001年にメガネ(アイウェア)事業に進出し、現在はメガネの企画から販売までを一貫して提供できる体制を確立している。
2006年に大阪証券取引所ヘラクレス(現ジャスダック)に上場。2010年12月には海外1号店として中国・瀋陽店をヤマダ電機瀋陽店内にオープン。2号店も同天津本店内に出店し、2011年6月10日にオープンした。
●HPアドレス http://www.jin-co.com/
高校時代から起業を目指す

福島 田中社長は高校を卒業して信用金庫に勤め、24歳で起業されました。その若さで起業されたきっかけから、教えていただければと思います。
田中 高校生の頃から、将来は自分でビジネスをしようと思っていたからです。
福島 そんなに早い時期から。
田中 勉強が好きではなかったし、得意でもない。有名大学にいけるわけでもなく、3流大学を出ても先が知れているだろうなと。だから自分で商売をしようと思ったんです。
福島 お父様がガソリンスタンドを経営されており、商売が身近だったこともあったのでしょうね。
田中 そうですね。信用金庫に入ったのも、自分でビジネスをするためにその勉強のつもりでした。やがてお誘いをいただいて、生活雑貨メーカーに転職しました。そこで覚えたことをベースに、1年後に独立したんです。
福島 雑貨事業のどこに魅力を感じたのですか。
田中 自分で物を作り出すことです。それに、ちょっと華やかですしね。信用金庫と違って面白かったですよ。自分で考えた物をお客様が対価を払って買ってくれる。そこが魅力でしたね。
福島 実際に起業されて、当初はどうだったのでしょう。
田中 いきなり資金繰りに行き詰まり、苦しかったですよ。そのとき実家にお金を借りにいったんです。そうしたら親父に「お前に貸す金はない」と。「そんな甘えたことをいうなら、もう二度と戻ってくるな」と怒鳴られましてね。当時は「えっ?」と思いましたが、今となっては感謝しています。
いいことは長続きしない
福島 1988年、最初に設立した会社ジェイアイエヌは雑貨が主軸でしたが、2001年にメガネ事業へ軸足を移しました。メガネに着目したのはどういうことだったんですか?
田中 雑貨事業で何回か失敗と成功を繰り返しました。そのとき「いいことは長続きしない」ということを学習したんですね。そして「いいときに何かをしなければいけない」とも。苦しくなってから次のことをやるのでは大変ですから。
福島 同じことをずっとやっていても駄目だと。
田中 そうです。そんな折、たまたま韓国でメガネという商材に出合った。出合った時点では雑貨事業がよかったので、メガネに進出しなくてもよかった。でも「今の雑貨事業が長くは続かないだろうから、何か次の仕事をしたい」と思っていたんです。
メガネと出合って「もしかしたら」とカンが働いたんですね。帰国してメガネ業界をいろいろ調べました。例えば前橋の国道17号線沿いにもメガネ屋さんがあるのですが、いつもガラガラ。
近隣のマクドナルドさん、吉野家さん、ヤマダ電機さんは一杯なのに。つぶれそうなぐらい業績が悪いんだろうなと思ったんですが、当時のトップ企業は売上高600億円以上、経常利益は120億円でした。
福島 すごいですよね。
田中 お客さんがいないのに利益が出るのは、おかしいんじゃないかと思いました。
いろいろ調べたら、メーカーがものすごい利益を上げていた。そして問屋も小売りも、そこに利益を乗せて売っていました。極端な話、1000円のものが3万円になってしまう。それぐらい上乗せされていたんです。
福島 これはおかしいんじゃないかと。
田中 ええ。当時、ユニクロさんのフリースが話題になり、SPA(製造小売)という言葉がはやりました。「メガネもSPAで売ったら、もっと安く提供できるんじゃないか」と思いましたよ。
それで、さらに調査したところ、特に若い人たちの間では当時のメガネ屋さんに対し、お店への不満、品ぞろえの不満、価格への不満、そして納期への不満があることが分かりました。「この4つを解消すれば、新しいビジネスモデルができるんじゃないか」と思ったんです。
そこで1年間の準備を経て、2001年に福岡の天神にオープンしました。
当時は5000円、8000円のツープライスだったのですが、たいした宣伝もしていないのに、ものすごい数のお客さんがきた。午後2時にはお店を閉めるような状態だったんです。
福島 品物がなくなって?
田中 品物がなくなったのと、視力測定が50−60人待ちになって営業時間内に追いつかなかったからです。
ユニクロ・柳井社長との出会い
福島 スタートから順調だったんですね。
田中 ええ。ところが2006年に上場した後、2期連続最終赤字に転落しましてね。
上場まではうまくいったんです。
メガネと雑貨の融合店を作ったり、いろいろなチャレンジをしました。
ところが、それらの詰めが甘かった。
なぜかというと、それまでの出店はすべて、私が個人保証してきました。ところが上場し、借り入れなしで出店ができるようになって、気楽にお店を出していたんですね。
それらの中からうまくいかない店が出てきて、それを閉めて特損が出た。
しかも、それまで順調だった既存店も伸びが鈍くなってきて「やばいな」と思っていたんですよ。
そしてリーマンショックがあり、さらに落ち込んだ。「この先どうしよう」と悩みましたね。
そんなときに、知人の紹介でユニクロの柳井さん(ファーストリテイリング代表取締役社長兼会長・柳井正氏)とお会いする機会があったんです。
柳井さんに「御社の事業価値は何か」と質問されました。
ところが、明確に答えられなかったんです。もう情けなくなりましたよ。
自分は何をやろうとしているのか。そのことを見直すいいきっかけになりました。
根っこを耕したというか、今自分がやっている事業を再定義したんです。
福島 行き着いた先は、どういうことだったのですか?
田中 メガネ事業を変えたいと思ったんです。自社の事業価値は「よく見える」「よく見せる」メガネを売ること。よく見えるというのは機能としてです。
機能としてよく見えるメガネを、他人からもよく見られるデザインで提供する。市場最低・最適価格でです。
しかも、新しい機能や新しいデザインを継続的に提供し続けようと決めたんです。
それまでは若い人をターゲットにしていましたけれども、若い人だけだとナンバーワンになれません。
人口は上のほうが多いですから。そこでターゲットも、すべての人に変えたんです。
そして、それまでオンリーワンになろうと思っていたのを、メガネ業界のナンバーワンになろうと。そう変えたんです。
福島 最近はナンバーワンよりもオンリーワンを目指す傾向が強いのですが、完全に逆ですね。
田中 ナンバーワンでなければ、世の中を変えられないといわれたんです。
福島 柳井さんに?
田中 そうです。ナンバーワンがその市場をけん引する。
ニシアチブを握るというか。ですからナンバーワン・イコール・オンリーワンになろうと決めまして、それからは本当に変わりました。
それまではメガネと雑貨を組み合わせた店などもありました。
雑貨は我われの得意分野じゃないですか。
でも、一般のメガネ屋さんは扱ったことがないから、競争ができないだろうとか。
そんなセコイことを考えていたんですね。
でも事業価値を決めてから、メガネ1本でどこにも負けないナンバーワンになろうと思ったんです。
新たな価値・機能の創造
福島 それからは頭の中が整理され、迷いがなくなった。
田中 なくなりましたね。「JINSらしさとは何か」をみんなで議論しましたが、それは「新しい当たり前を創り出すこと」だと。
福島 新しい当たり前……。
田中 クリエイト・ニュー・スタンダードです。
昔からあったメガネの業態とか、価格とか、機能とか。そういったものを壊して、新しい常識を創造しようと。
例えばメガネ屋さんには目の悪い人がくる、今までは。視力補正用具として。
でも我われは目のいい人もお客さんにしようと。目のいい人にはメガネが不要かというと、そんなことはありません。
これだけ情報化社会が進展して、デジタルディスプレイ、パソコン、スマートフォン、携帯ゲームなどが当たり前になってきています。
でも、これらからは目を疲れさせる有害な光が出ています。
こういうものから目を守らなければいけない。あとは紫外線もそうですね。
福島 店内に出ていましたね、お医者様のコメントが。
紫外線から目を守ることが大事で、そのためにサングラスは非常にプラスだと。
田中 アンチエイジングなんですよ。目から紫外線が入ってシミやシワになるんですよ。
福島 そうなんですか? 知らなかったです。
田中 目も肌以上に集光しているから日焼けするんです。
その結果、白内障とか翼状片とかの遠因にもなる。
これは慶応大学病院と産学連携で研究していますから、先生からいろいろ聞いています。
福島 医学的にもメガネは、目が悪い人だけがかけるものではないことをアピールできるわけですね。
田中 そうです。例えば今私がかけているこのメガネがそうなんですけれど、これは10月にリリースするパソコン用メガネです。
私は目がいいんですけど、パソコンに向かうときには必ずこれをかけています。
これには実験結果も出ていて、眼科の先生が目のいい人にパソコンを前に2時間かけてもらい、このメガネの有無による視神経の疲れの違いをテストしたんです。
そうしたら、このメガネをかけると目の疲れが3分の1に減る。
検査した眼科医の先生がびっくりしちゃって。
その先生は今では、子どもにはゲームのときにかけさせ、奥さんにはパソコンのときにかけさせている。
家族全員でかけています。
福島 それはすごいですね。
田中 他にも、これは先日発売したゴルフ用サングラスなんですけれど、グリーンの芝目や傾斜がよく見える。
キャディさんに聞かなくても分かるんです。
プロゴルファーに開発協力をしてもらいました。
プロは別ですが、アマチュアゴルファーの場合、プレイ中にサングラスをかける人って、まだ少ないじゃないですか。
なので、ふだんサングラスをかけていない人が違和感なくかけられて、なおかつ見え方をゴルフに適したものにしたいということで、いろいろと試行錯誤しました。
レンズも試作段階では6種類ぐらい作ったのですが、その中から、一番いいというものを採用して、発売したんです。
おかげさまで、多くの目のいいゴルファーがお買い求めくださっています。
福島 メガネの新たな価値や機能の創造ですね。
田中 国内のメガネマーケットは今、4000億円ほど。
これを、マーケットをセグメント化し、それらに応じた商品を開発・提供することで、私は1兆円にまで拡大できると思っています。
人間の場合、目が情報収集の9割を担っています。
それほど重要な器官なのにも関わらず、そこに対するケアが、あまりにも少なすぎるんじゃないかなと思います。
福島 まさしくクリエイト・ニュー・スタンダードですね。
田中 そうです。そういうことをやっている会社は世界でも少ないので、これをジャパン・ブランドとしてワールドワイドに展開していきたいですね。
マクドナルドさんもスターバックスさんも、米国生まれの企業、ブランドです。それを日本人は喜んで買っているじゃないですか。
でしたら自分たちも、日本で生まれた文化、ブランドとして海外に輸出していきたいんです。
チャレンジし続けること
福島 今後の展開ですが、中国にも進出されましたね。
瀋陽、それから天津と、ヤマダ電機さんの店舗に入られました。
田中 中国はいずれ進出しなければならないと思っていたんですが、なかなかきっかけがなかった。
今回、ヤマダ電機さんからお声がけをいただいたので、ようやくその足場ができたという感じです。
福島 中国での手応えは?
田中 瀋陽に1号店を出したときには「やはり難しいな」と思いました。
でも、2号店の天津で「いけるんじゃないかな」と思えるようになってきました。
福島 都市によって反応が違うということですか?
田中 そうです。あとは日本に対するイメージですかね。
瀋陽のほうが、日本に対して厳しい。でも、可能性はものすごく大きい国ですね。
福島 今後は東南アジアやヨーロッパ等にも進出されるとか。
田中 アメリカも含めですね。欧米や東南アジアから話をいただいています。
そういった意味では、我われのビジネスモデルは、世界で通用するんじゃないかな、とも思っています。
やはり1歩を踏み出すというか、何事もやってみるということですよね。やってみなければ、分からない。
福島 ただ、組織が大きくなり、守るものが大きくなってくると、なかなかそれができにくくなるんじゃないかな、とも思うんですが。
田中 組織がでかくなればなるほど、勝負しないと駄目です。
福島 大きくなればなるほど?
田中 そう思います。実は今でも心に残っていることがあるんです。
それはアンケートなんですが、アメリカで90歳以上の人1000人にアンケートをしたんです。
「人生で思い残すことがありますか」と。そうしたら9割以上の人が「もっとチャレンジすればよかった」と答えたそうです。
例えば、極端な話、倒産したってですよ。
そんなに大したことではないのかも分からないですよ、90年というスパンで考えると。
現状を守るというか、そういう生き方をすると、90歳になったときに悔いが残るのかなと。
人生悔いなし、とは別にいいいません。人生に悔いがないことはないと思うんです。
でも「もっとチャレンジすればよかった」というのは、何かチャレンジしたいことがあったんだと思うんですよね
。あったことを何かの理由で断念せざるを得なかった。
それは本当に悔いの残ることだと、私には思えるんです。
福島 田中さんとしては、あくまでチャレンジし続けていくことを最優先すると。
田中 いろいろなことにチャレンジしていきたいですね。その結果、失敗してもいい。
そんなことを心配するよりも、まずはやってみること。それが何よりも大切だと思っています。 (敬称略)

ヤマダ電機天津本店内にオープンした中国2号店「JINS天津店」

田中 仁(たなか・ひとし)氏
1963年・群馬県生まれ。高校卒業後に地元の信用金庫に入庫。1986年、女性向け服飾雑貨製造卸会社に転職し、その1年後に退職。1988年、有限会社ジェイアイエヌを設立。2001年からメガネ店「JINS」の展開をスタートし、2006年に上場。2009年5月に販売を開始したした「エア・フレーム」が大ヒットし、大きな話題となった。現在は「JINS」を全国で展開している。
●インタビュー後記
田中社長のビジネスは、まさに新たな市場創造による成長の典型的なケースですね。
目のいい人にもメガネを買ってもらうという視点は、例えばファッションアイテムとしてなら、優れたデザイン性と価格の安さがなければ難しいでしょうし、パソコンで疲れないメガネや、アンチエイジングのためのサングラスは、そうした機能の裏付けがなければそもそも成立しない製品。
SPAという製造から販売まで、一貫して手掛けるビジネスモデルだからこそ、実現できたことだと思います。
お話を聞いていて、正直、私も用途に応じていくつもメガネがほしくなりました。ジェイアイエヌの事業が、メガネに対する消費者の意識や業界に大変革をもたらす予感がします。紆余曲折を経験しながら、現在の立ち位置にたどり着いたのが「自分たちの事業価値は何か」という原点への徹底した問いかけだったことも心に響きます。
軸足をしっかりと定めた田中社長による、日本発のメガネのニューススタンダードに期待しています。
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