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2007.04.20

福島敦子のアントレプレナー対談 No.19

 オークネット◎藤崎清孝社長

藤崎清孝社長と福島敦子

起業家兄弟の絆で築き上げた
世界初の「中古車TVオークション」

 

(株)オーク ネット(東京都千代田区)
84年3月に創業者の故・藤崎眞孝氏が実弟の藤崎清孝氏(現社長)と設立。85年6月に世界で初めて中古車業者間の競売をTVで行なう「中古車TVオーク ション」をスタート。早くから出品車の検査体制を重視し、検査専門子会社AISを設立。その検査基準はトヨタ、ホンダ、日産などメーカー中古事業者と統一 された業界標準となっている。現在は中古バイク、中古パソコン、花などのTVオークションに進出している。
http://www.aucnet.co.jp/

 

「手間がかかる」をきっかけに

 福島 オークネットさんは1985年に世界で初めて中古車のTVオークションをスタートしたパイオニアです。まず、どういうきっかけでこのビジネスを始められたのか、そこから教えてください。
 藤崎 当社は先代社長(故・藤崎眞孝氏)と私とでスタートしました。先代は私の実兄で10歳違いですが、40年ほど前から、中古車販売業を営んでいましてね。当時、販売業者として仕入れのために中古車オークション(現車の競売会場)を利用していました。しかし、利用するうちに「オークションは便利だけれども手間がかかる」と。「これを通信にしたら」という発想がきっかけになったのです。
 また、その当時は第1次パソコンブームでもあり、当社も82年にパソコン販売会社を設立。コンピューター関連の販売や開発を手がけていました。グループ内にコンピューターのノウハウを持つ会社があり、中古車を販売しているということで「これはもう通信を使ったオークションをやろう」ということで、プロジェクトがスタートしたのです。

福島敦子氏 福島 藤崎社長のご兄弟は、皆さん、経営者だとうかがいました。起業家精神にあふれたご家族だったんですね。
 藤崎 どうでしょうか。まあ、感覚としては、一番年長の先代が起業家精神を持っていて、皆でそれを学んだところはありますね。残念なことに93年に51歳で亡くなりましたが。

 福島 お若いですね。
 藤崎 先代は、いろいろなビジネスを立ち上げました。中には「これはいいや」と止めてしまうとか、そういう部分も繰り返しながらですね。そういう先代を通して、ビジネスとは何ぞやということが、かなり身に付きましたね。

 福島 ご兄弟は何人ですか。
 藤崎 5人兄弟です、男ばっかりの。私が一番下です。

 福島 ご実家は何かご商売をやっていらしたんですか。
 藤崎 やっていません。父親はサラリーマンでしたが、あまり稼ぎもよくなくて。5人とも一応学校は卒業しましたが、苦労が多かったですね。そういう意味でもハングリー精神が芽生えて、何かやらなくてはいけないという思いが、1つの要因になったとは思います。

 福島 早くからお兄様の仕事を手伝われていたのですか。
 藤崎 中学生ぐらいから、仕事みたいなことをやらされていましたね。兄が車に関わったのは学生時代。バイトで稼いだ金で買った中古車を、雑誌の売買コーナーに出したのですが、これが高く売れたことから始まったんです。学校卒業後、1年ぐらいサラリーマンをやりましたけれども、辞めて中古車展示場を作り、そこから会社経営を始めました。23歳ぐらいの時ですね。
 私は当時、13歳。車磨きから、お客さんの相手のようなことをしていました。中学生が接客でもないんですが、他に誰もいなかったもので、しようがないから、私がせざるを得なかったんですよ。

先代社長との絆

藤崎清孝社長
 福島 仕事を手伝われたのは楽しかったからですか。
 藤崎 楽しいというか、見るものがすべて新しくて。いつの間にか、ついていったというパターンですかね。時には大変なことをいわれたりして、苦労して手伝っていましたよね。ある時、パンフレットを作ることになったのですが、私が写真を撮りにいき、それを編集し、レイアウトする。全部やらされました。やったこともないことを、いきなり「やれ」といわれるものですから、鍛えられましたね。

 福島 10歳も離れているお兄様からの指示ですと、わりと素直に聞けるのではないですか。
 藤崎 そうですね。よくいうんですけど、父親と兄の中間みたいな存在なんですよ。父親というとちょっと毛嫌いしちゃうけど、かといって兄貴でも近すぎて反発心が出る。ところが、その中間的な存在だったので、いつの間にか、仕事を手伝っていたんですね。

 福島 いずれはお兄様と一緒に会社をやろうと思っていたのですか。
 藤崎 いずれ独立という感覚はありましたね。サラリーマンじゃない、と思っていました。しかし社会勉強をしたいから、不動産会社に入りましたけどね。で、3年ぐらいして呼ばれました。まだ続けたかったんですけれど、兄に「辞めてくれ」といわれたんです。当時、グループ内に通信販売会社があったのですが、そこが赤字でしてね。これを立て直せ、ということでした。

 福島 いきなり経営再建ですか。よくお引き受けになりましたね。まだ、社長の経験もお持ちでなかったのに。
 藤崎 がむしゃらでした。そういう意味では、かなり荒っぽい勉強をいつもさせられたという感じですね。
 その通販会社は、ラジオ局と一緒に自動車整備講座をやっていたのですが、それが大赤字でね。私の最初の仕事は、その事業からの撤退でした。ラジオ局に出向き「すいません」といって頭を下げて。今でも覚えていますよ。あれは27歳頃かな。なぜ止めざるを得ないかということを、とくとくと説明しました。
 そうしたら、2つ返事でしたね。「そこまで苦労されたんですか」と。その話を通じて、その方と仲良くなりましてね。その後もお付き合いをさせていただきました。

 福島 人のご縁というのは不思議ですね。
 藤崎 そうですよね。そういうマイナスの時でも、やっぱり誠意を持って対応すれば、相手は分かってくれるということを学びましたね。そういう大変な役目を、兄は私にどんどん課しましたけど、その中で本当の経営を肌で感じながら、覚えていきましたね。

 福島 先代社長と藤崎社長とは、兄弟の枠を超えた、何か特別な絆で結ばれていたのでしょうね。
 藤崎 やっぱり尊敬していましたよね。いつも先々を一生懸命に勉強していましたしね。


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