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2009.02.20 (シャニム26号掲載)

返済迫る銀行と粘り強く交渉 その合間に起業の勉強を本格化

元航空機機長が綴る「熟年起業奮戦記」

返済迫る銀行と粘り強く交渉
その合間に起業の勉強を本格化

㈱竹資源開発 会長
田中一男

1億2000万円もの借金を抱えて、航空会社を定年退職した田中会長。
貸し手責任など「どこ吹く風」の大銀行は、無情にもローンの返済を迫ってくる。
もはや、起業する以外に生き残る道はない——。そう決意した田中会長は、
60歳を過ぎて初めて本格的な経営の勉強をスタート。熟年起業の第一歩を踏み出した。

 私はサラリーマン時代の多額の銀行ローンで、一度は銀行から自己破産を勧告されました。しかし今、自己破産を免れて何とか生きのび、第2の人生を謳歌できているのは熟年起業した結果です。

 60歳までのサラリーマン生活は航空会社の管理職機長として、新機種導入のテストパイロットを行なったり、定期航空の機長として一度に数百人の乗客乗員の命を預かる業務に従事していました。その日その日のフライトが真剣勝負ですから、世の中の経済や地球環境問題などにはまったく疎い、一種の専門バカの生活だったのです。

 老後の計画など綿密に考える余裕もなく、不動産会社や銀行の勧めるまま、不動産バブルの時代に不動産投資に手を出し、多額のローンを借り入れ、返済ができないまま定年を迎えてしまいました。

 会社を退職して定期収入の道を失った時、多額の借入金を返済するためには「起業するしか道はない」と覚悟を決め、起業のための準備に取りかかりました。といっても世事に疎い元パイロットには、何をどうすればよいか見当もつきません。ゼロからの出発です。

 しかも、生きのびるためには何がしかの現金収入が必要ですが、つぶしのきかない元機長では収入の道はありません。そこで世の中の仕組みを研究しました。
 厚生年金の支給は65歳からと決まっていますが、特別の事由があれば早期支給の道があることを探り当てました。支給金額は減額されるのですが、背に腹はかえられません。これで最低限の生活費を確保することができました。

動産バブルのツケが田中会長を襲った

動産バブルのツケが田中会長を襲った(写真は本文とは関係ありません)。

毎月のローン返済額をいかに圧縮するか!?

 しかしながら、1億2000万円の銀行ローンをどう返済していくかは難問です。一介のサラリーマンに多額の貸し付けを行なった銀行にも責任の一端があるはずです。

 というのは銀行融資の条件として、貸付金利を優遇する代わりに、担保物件は一括担保とすることになっていました。購入時1000万円の賃貸用マンションに、1億2000万千円の抵当権がついているわけです。個別の売買が極めて困難な仕組みになっていました。

 私としては賃貸用マンションを売却して借入残高を減らし、毎月のローンを軽減したいのですが、それができません。銀行との交渉が続きました。不動産の時価相場は購入時の2分の1から3分の1となっていました。
 銀行との交渉の結果、一括担保の不動産を個別に処分してもよいことになりました。ただし、不動産売買には銀行が立ち会い、売買代金の全額をローン返済に充てることが条件でした。

 この方法で不動産を処分しローン返済額を圧縮することにましたが、銀行のいうままに売買代金の全額をローン返済に回したのでは、すべての投資不動産を売却しても最終的にはかなりのローンが残る。これでは自己破産より悲惨な結果になると気がついたのです。

 そこで不動産を売却するたびに、必要経費がかかったとして手元に何がしかの現金を残し、起業のための資金を確保。不動産を半分処分したところで中止しました。

 残った賃貸用マンションの家賃収入の価値を検証してみたのです。不動産の時価は大きく目減りしていましたが、家賃収入の落ち込みはそれほど大きくはありませんでした。この家賃収入を銀行の定期預金金利に換算してみると、かなりの金額の定期預金に匹敵することがわかり、残りの不動産を死守することに決めました。

 そのため、ローン引き落としの期日に預金残高が不足することも、たびたび起こりました。その都度生命保険を解約したりして金策に走りました。銀行との信頼関係を損ない、貸しはがしにあっていたら、その時点で破産は必至でした。


異業種勉強会に参加
雑用係を買って出る

 銀行との駆け引きと並行して、起業のための勉強を始めました。友人の勧めで銀座のとある早朝読書会に入会し毎週通い始めました。
 この勉強会が、第2の人生をつかむきっかけになりました。会のメンバーはコンサルタントの先生やベンチャー企業の社長・役員でした。

 世の中の仕組みに疎かった私は進んで会の雑用を引き受け、何でも学ぼうと腐心しました。雑用を引き受けるうち、「夢現市場」(夢を現実とする会)という会の事務局長となり、コンサルタントや弁護士の先生、ベンチャー起業家の方々との人脈を築くことができました。そして、いくつかの起業をサポートすることになったのです。

 また、銀座での活動をもとに横浜市のベンチャーマネージャーに指名され、横浜市内で起業した会社を支援し、活動の幅が広がりました。

 あちこちの異業種交流会にも参加しました。異業種交流会に参加している方々の多くはベンチャー起業家です。様々なモチベーションやノウハウを持っており、この方々との交流が起業のヒントを与えてくれました。独学で起業準備をするのでは、熟年起業には時間の余裕がありません。短期間に起業するには利用できるものは何でも利用する精神が必要です、そのために、いくつかの起業セミナーにも参加しました。

 そして、熟年起業ではありきたりのビジネスでは生き残れない、と強く感じるようになりました。

環境対策への問題意識
竹資源開発との出合い

 一方、航空会社退職後、自由になった時間をボランティア活動に励みたいとの思いがありました。特に環境問題に関心を持つようになりました。現役時代、フ ランスのツールーズにあったエアバスA300という旅客機を、アフリカ、中近東、インド、東南アジア経由で空輸する仕事に従事したことがあったからです。

  操縦室の窓から見た、赤茶けて荒涼とした大地が広がる地球の実態に愕然としました。日本の景色は緑がいっぱいできれいなのに、東南アジアは森林伐採で熱帯 雨林の破壊が進み、地肌がむき出しになった場所が上空からはっきり見えたのです。

 自分自身、大型ジェット機で高度1万メートル上空を多 量の燃料を消費しながら飛行して、大量の二酸化炭素を排出していたのです。しかし、飛んでいる私にはどうすることもできません。地球環境に対して負荷をか ける仕事に携わっていたことに気がついたのです。

 そこで、東南アジアに植林をするNGOに参加し、環境問題について勉強しました。植林 は苗木を植えて、それが木材として利用できるまで40年、50年とかかります。その間にも大量の森林が伐採され、地球環境は確実に悪化します。植林事業も 大切だが、何とか森林伐採を抑制することはできないものかと考えるようになりました。
 ベンチャー起業を支援する会の事務局長の頃は、ITバブル といわれた時代で、起業家の方たちが自分のビジネス・アイデアをプレゼンテーションし、出資者を募集して起業するための支援をしました。そのおかげで、会 社のつくり方や経営についても学ぶことができたのです。

 ある日、竹フローリングの販売をする竹資源開発というローテクな零細企業が相談 にやってきました。環境問題に興味があった私は「このビジネスは地球のためにもなる」と直感。その経営者が熱く語ったのは、「竹は3年で生長し、5年もす ると建材として木材に勝る部材として活用できます。竹は無尽蔵なエコ資源です」ということです。私は素人ながら、このコンセプトに共鳴しました。

  その頃です。銀行から呼び出しがあったのは。「ローン返済が滞るようではブラックリスト載ることになります。一週間後にローン返済計画書を提出してくださ い」と最後通牒を突きつけられたのです。(続く)

 

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