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2009.11.30 (シャニム29号掲載)

会社が軌道に乗り始めた矢先 突如襲った幾多の試練|元航空機機長が綴る「熟年起業奮戦記」

元航空機機長が綴る「熟年起業奮戦記」

会社が軌道に乗り始めた矢先
突如襲った幾多の試練

㈱竹資源開発 会長
田中一男
 

 03年7月に旧・竹資源開発の資産を営業譲渡し、長男を代表取締役とする新・竹資源開発を設立しました。
 旧・竹資源開発は短期間で譲り受けたベンチャー企業だったため、調査が不十分。財務状況は多額の累積赤字が計上されていました。このため金融機関からの借り入れが不可能だったのです。

 私自身は使命と思っていた長男の独立、そして自己破産を回避してローン返済の目途が立ったことなどから身を引きました。自由になった時間で「竹は地球を救う」をテーマに雑誌に投稿したり、講演したり、同業他社の技術顧問を引き受けたり、新会社のセールスを担当しました。

愛知万博からの受注

 05年の愛知万博で、場内に設置する竹を使った案内ポールの特注品を受注しました。そのことが新聞に大きく報道され、マスコミ取材が殺到。その実績で大手企業から竹の特注品を受注するなど着実に実績があがってきました。従業員を雇用し、金融機関から資金を借り入れ、事業拡大が軌道に乗り始めまたのです。

 心身共にゆとりができて、あちこちの異業種交流会などに顔を出すようになり、人脈が広がり、いろいろな業種に関与することができました。

 そして、ある建設会社と共同開発で、新製品の竹建材を開発することになりました。サンプルを中国工場で作ることになるなど、新規プロジェクトに心弾む思いでした。

 しかし、金融機関より追加融資を受けなければこのプロジェクトは前に進みません。追加借り入れのためには連帯保証人が必要とのことで急遽、私が代表取締役会長に就任することになりました。しかも、すでに融資を受けていたので追加融資には担保が必要でした。

 しかしベンチャー企業ですから十分な担保がありません。そこで共同開発に同意してくれた建設会社に発注書を書いてもらい、これを担保に融資交渉をしました。やっと6カ月間の融資の決済となり、新製品の開発費用を確保できました。

 この資金で、ただちに中国の工場へ発注したのです。これでオンリーワン企業を目指し、一段と飛躍できるはずでした。

好事魔多し

 やがて納期が迫り、建設会社から納品日の確認を求める電話が入りました。すぐに中国工場へ確認の電話したのですが、それまで順調に進んでいるはずだったものが、「工程が遅れ気味」との回答。日を置いてまた電話で問い合わせると「問題が生じた」とのあやふやな回答。そして、ついに連絡がつかなくなりました。

 社長である長男が調べた結果、中国工場の社長は行方不明で、工場は倒産したとのこと。納期が迫っていましたが、私はどう対処してよいわからず、途方にくれました。

 とりあえず建設会社には納期の延長をお願いして、社長である長男が中国へ出張。状況を確認することになりました。数日後に電話報告があったのですが「工場は第三者の手に渡り、信用していた元社長は行方不明」とのこと。

 さらに調査を進めたところ、港に所有者不明の商品があったのです。現物を確認すると、確かに私が製造依頼した竹建材の一部でした。しかし、その商品の所有権を示す書類が不備。品質にも問題があり、数量も中途半端でした。

 建設会社に事故の報告を行ない善後策を図ったのですが「品質に問題がなければ数量は柔軟に対応する」との感触。そこで商品を選別し、不良品を廃棄処分にして、残りを日本に発送することになったのです。

 その一方で金融機関からの返済期日が迫っていました。納期は過ぎていたのですが、納品していないので入金はありません。そればかりか、今回の事故処理に多額の出費を強いられました。資金繰りはどうにもならない窮地にまで落ち込んでいました。従業員にも給与が払えず、結局、退職してもらうことになりました。

 そして金融機関に日参し、中国の工場が倒産し、問題解決の最中にあるため、元利の返済ができなくなったと窮状を訴えました。

 しかし、金融機関は「短期融資の分は何が何でも完済してほしい」との一点張り。家族全員の貯えを寄せ集めても足りなかったので、恥を忍んで親戚に「返済の目途はないが、金銭的な援助をお願いしたい」との手紙を書きました。短期融資返済日の前日に、やっと現金が集まり決済できました。

崩れた信頼関係

 やれやれと胸をなでおろしたのも束の間、今度は長期融資の元利返済が月末に迫っていました。その上、中国から届いた竹建材を検品した建設会社には、「中途半端な数量で品質もイマイチ。これではプロジェクトから手を引く」と宣言される始末。信頼関係は崩れてしまったのです。

 共同開発プロジェクトだったため、着手金は受け取っていませんでした。すべての費用をこちらが負担していたので、開発費の一部を負担してくれるよう交渉。請求書を送りましたが、なしのつぶてでした。
 思い余って東京簡易裁判所に少額訴訟で少しでも資金を回収しようと相談しました。手続きは簡単、費用も少額、1日で判決が出るという。

 しかし、こちらの言い分が通ると、相手もプロジェクトを断念した損害賠償を同じ手口で請求してくるはず。しかも相手の請求額の方が、大きいことが予想されました。ここは泣き寝入りが最良の解決策、と心に決めたのです。

 中国工場の倒産という予期せぬ出来事にほんろうされ、本来のビジネスにも綻びが生じて売り上げは激減しました。長期借り入れの返済目途が立たなくなり、金融機関との交渉を再開しました。短期借り入れを完済した努力が認められたのか、元金の返済を1年間猶予し、金利のみを毎月返済することで合意しました。

 そして業績回復の努力をしたのですが、収支の改善は見られませんでした。ついに社長の長男は、会社を「民事再生で整理したい」といい出す始末。仕事への情熱も見られなくなりました。

 私には民事再生がどういうものか、予備知識がなかったので調べてみました。裁判所の許可を受け、事業再建計画が認められると、会社としての債務が免 除されるというものらしい、ということがわかりました。ただし、連帯保証人の個人債務は免除されない。

 では個人は救済できないのかと調 べてみると、個人再生という制度がありました。個人債務の一部を3年間支払えば、その後の債務は免除されるというのです。しかし、迂闊にこの手法にはまり 込むと自己破産となり、何もかもなくす恐れがあることもわかりました。

窮余の一策

  とはいえ他に妙案はありません。私は「民事再生も止むなし」との心境で金融機関に相談しました。すると「返済できなければ返済できないとはっきり手続きし てください」との返事。「当行としては信用保証協会から返済を受けますから損害はありません。しかし債権は保証協会に移りますから、その後の返済について は協会と交渉してください」というのです。

 連帯保証人の責任を改めて勉強しました。債権がどこに移ろうとも、個人の財産から債務を弁済 しなければなりません。現金預金がなければ、所有する不動産が差し押さえられて競売にかけられます。これでは住む家を失います。しかも、民事再生法にして も個人再生法にしても、その手続きや弁護士費用で数十万円の現金が必要です。

 私は「何とかして会社の借り入れを返済しなければ」と生き た心地がしませんでした。
 しかし、会社の資金は完全に枯渇していました。長期借入金の元金返済は1年間猶予してくれましたが、1年後の返済目途 は立っていません。

 長男の社長はついに辞表を書き、会長役の私がすべてを背負うことになりました。金融機関からは返済の目途を迫られて いました。会社として借り入れの方法がなくなってしまった今、私は「できることは1つだけだ」と思い始めていました。

 増資して資本金を 増やし、増資した分で金融機関の借り入れを帳消しにするという方法です。そして、これを実行するために社長の母親、つまり私の妻に平身低頭して増資に応じ てくれるよう懇願したのです。
 結局、老後の貯えだったへそくりを、そっくり増資させてしまいました。おかげで対外的な借金苦からは開放されまし たが、妻へは頭が上がらなくなりました。

 会社の借金がなくなった上に、健全な在庫があり、ビジネスには支障がない状況となりました。で すが精神的な打撃で勤労意欲が減退。本業の竹フローリング・ビジネスは事実上の開店休業状態となって、暇になってしまったのです。     (続く)

 

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