福島敦子のアントレプレナー対談JR福知山線事故の被害は過去
果敢な起業で「未来」を切り拓く!

ラフィングドッグ 岡崎 愛子代表

ラフィングドッグ(東京都品川区)

「犬の問題行動」「犬を迎える前のお悩み」「老犬ケア」に関する個別相談 ・講演 ・情報提供
<理念>
人が変われば、犬も変わる! 飼い主さんとの暮らしを改善し、人と犬とが楽しく暮らせる毎日を!

米国流ドッグトレーナーとは!?

福島ラフィングドッグというブランド名から、すごく楽しそうなイメージが湧いてきます。通常のドッグトレーニングとはちょっと違う、人と犬とが本当に楽しく快適に暮らすためのサポートを行うということですけれども、具体的にどんな事業をされているのですか。


岡崎私は高校生の時からフリスビードッグをやっていて、当時からドッグトレーナーになりたかったんです。でも、車椅子ユーザーになってそれが叶わなくなってしまったのですが、会社に入って何年か経って、「やっぱりドッグトレーニングをやりたい」という想いが強くなってきたんです。

そんな時に海外のドッグトレーナーさんと出会って、「車椅子ユーザーでも、やりようはある」とアドバイスされました。ドッグトレーニングというと犬に「座れ」とか「伏せ」を教えるイメージがあると思いますが、実際はそうではなく「飼い主教育だよ」と教えてもらったんです。

問題行動のほとんどが飼い主さんの接し方や犬の置かれた環境から生じており、そういった視点で考えれば、私にもできることはあると分かりました。ですから、私は飼い主さんに重きを置いて、飼い主さんに接し方を変えてもらったり、暮らしの環境を変えたりという方向でやっています。

福島実際に飼い主さんに会って、どういう問題があるのか、その原因を突き止めて行くということですか。

岡崎はい。飼い主さんにあまり無理をさせる内容ですと、長続きしないので、飼い主さんが可能な範囲で問題行動を解決できるように提案しています。

福島犬の気持ちが本当に分かっていないと、正しいアドバイスができませんね。

岡崎そうです。犬の行動をちゃんと見られるかが、一番の課題だと思っています。

福島そのための知識やノウハウは、どう勉強されたんですか?

岡崎先ほどお話ししたドッグトレーナーさんに学んだ日本人の方が、日本でドッグトレーナー養成プログラムを始めると聞き、そこで教えていただきました。

福島その方の講座は、やはり通常のドッグトレーナーとは違うものだったんですか?

岡崎そうです。日本では叱ったりとか。でもアメリカは行動分析学に基づいたトレーニングが主流で、それを教えていただきました。日本でも徐々に広まりつつありますけど、まだまだ少数派ですね。

ターゲットは「老犬」

福島実際に起業されて、どんなことを感じておられますか。

岡崎ようやくこの4月からやり始めたというところなんですけど、やってみて、他のドッグトレーナーさんと私の違いがなかなか出せないことが、大きな課題だと感じています。ですからビジネスモデルを少し変えようかと思っています。

福島どんなふうに変えていきたいと思っているのですか?

岡崎ターゲットを老犬や、介護が必要な犬にしようかと。2000年頃からペットブームになったのですが、その当時の犬たちが今ちょうどシニア期を迎えているんです。寝たきりになってどうすればいいか分からないとか、トイレの世話とか、そういったお悩みが多く聞かれています。

介護って私自身も車椅子ユーザーなので分かるんですけれど、きれいごとじゃない部分がものすごく多い。それでも老犬や介護が必要なワンちゃんと人とが、もっと楽しく暮らしてもらいたいと思うので、そちらにターゲットを絞りたいと思っています。その際に必要となるグッズの販売もやりたいですね。

福島どんなグッズですか?

岡崎例えば床ずれ予防のマットとか、後ろ脚がちゃんと立たない犬のハーネスとか車椅子とか。私自身車椅子ユーザーになった当初、グッズは多いけれども、どんな物が自分に合うのかが分からなかったので、グッズと使い方をセットで提供したいと考えて動いているところです。

福島岡崎さんにとって犬とはどういう存在ですか?

岡崎友達みたいな感じですかね。家族っておっしゃる方も多いのですが、私の場合、いつも家にいたら一緒に遊んだりしていますので、家族でもあるんですけれど、それよりも友達感覚ですね。

処女作「キャッチ」を上梓

福島JR福知山線の脱線事故がちょうど10年前。当時、大学2年生ですか?

岡崎そうです、2年生です。

福島たまたま電車の1両目に乗っていて、脱線事故に巻き込まれ、首の骨を折る大怪我をされた。命は助かったものの、麻痺が残って車椅子ユーザーになられたという大変なご経験をされました。ちょうど10年を迎えた今年、これまでの思いをまとめた著書『キャッチ!』を出版されました。なぜ10年という節目に本を出そうと思ったのですか?

14-021岡崎私の中では9年だろうが、10年だろうが、11年だろうが特に変わりはないんですけど、たまたま私が会社を辞めたのが去年(2014年)の2月で、自分の中で新たなスタートを切るタイミングが、偶然にも事故の10年目と重なったんです。

そうなると、本を出すならこのタイミングしかないなというのもあって。やっぱり10年目となると報道もかなり増えますしね。

福島これまでの気持ちを振り返って、一つのまとめた形にしたいとの想いがおありだったんですか?

岡崎それはありました。私がこれまで経験したことを話したりすると「勇気をもらえる」とか「前向きになれる」といってくださる方がとても多くて、それだったら本にしてもいいかなと。本当は文章を書くのが好きではないんですけど、ちょっと頑張ってみました。

福島岡崎さんの入院期間は377日、1年以上ですよね。その間、気持ちの波はいろいろあったと思うんですけれど。

岡崎入院して3カ月目ぐらいが一番しんどい時期だったと思います。リハビリが始まったのですけれど、脊髄損傷の場合、一度神経が傷つくと元には戻らない。機能の回復はないといわれています。

また歩けるようになるとか、そういったリハビリではなく、いかに残存機能を使って生活しやすくするかというリハビリ。

私自身はまた歩けるようになりたいとか、ちょっとでも機能の回復がしたいと思ったのですけど、そこに焦点が当てられないリハビリだったので、気持ちのずれというのですかね。それが一番しんどかったです。なかなかやる気が起きなくて、何もしたくない状態が続いていました。

でも、そうはいっても、やっぱり復学はしないといけないし……。

脱線事故の影響を断ち切る

福島大学に戻りたいという強い意志を、御著書を読んで感じました。その強い思いは、どこから出てきたのですか?

岡崎入院中もいろいろ考えました。自分の体が動かなくなってしまって、もしかしたらずっと家にいるのかもしれないとか。そう思った時に一番懸念したことは、家族の負担です。この先ずっと家族の力を借りて介護されて家で過ごす生活は、自分にとっても家族にとっても「絶対に嫌だ」と。

では、それをしないためにはどうしたらいいだろうと思ったら、やっぱり復学したいし、友達と一緒に卒業もしたい。何よりも事故のせいで学校に行けなくなったとか、就職もできなくなったとか、何もできなくなってしまったというふうに思われたくないと思いました。

脱線事故の影響が、この先の生活にずっと付きまとってくるのが、すごく嫌だったんです。それがあって、絶対に復学しようと決めました。

福島復学した頃のことを振り返ると、どんなことを思い出されますか?

岡崎よくやったな、というのが本当に思うところです。(同志社大学のある)京都での一人暮らしは大変でした。でも環境にすごく恵まれたなとも思っています。同志社大学は福祉に力を入れており、例えば車椅子で行けない教室はなかったんです。

福島当時からバリアフリーが進んでいたのですね。大学に戻られたのもすごいと思いましたが、その後、当たり前のように就職。これも岡崎さんにとっては当然の流れという感じだったのですか?

岡崎やっぱり悩みましたけど、でも「あの子は事故に遭って家にいるんだよ」といわれたくなかった。事故のせいで運命が変えられたとか、人生を狂わされたということを、思われたくなかった。

私自身は自分のことを可愛そうとか、何とも思っていないのですけれど、周りからは腫物に触るような感じの視線を感じる。そこがすごく嫌だったんです。そう思ったら、もう本当に私、負けず嫌いなので。

ソニーへの感謝と決別

13-01福島結果的にソニーに入られましたが、なぜソニーに?

岡崎もともと私、電気機器が好きだったんです。だから電機メーカーを多く受けたのですけど、ソニーは障害者と健常者を区別しない採用方針で、障害の有無に関係なく、採用したい人を採用する。仕事内容も本人に合わせて配慮はするけれども、区別はしないという考え方なので、すごく私に合っていると感じました。

福島実際に社会に出て、会社の一員として仕事をする生活というのは、どうでしたか?

岡崎最初は仕事よりも生活が大変でした。ソニーは当時、東京にしか事業所がなかったので、結果的に東京で一人暮らしをしないといけない。東京でヘルパーさんを1から探さなきゃいけないし、家も探さなきゃいけない。仕事をしながらヘルパーさんとの生活のリズムを組み立てることがすごく難しくて。初めは仕事の大変さよりも生活の大変さの方が大きかったです。

福島仕事のやりがいを実感する余裕もなかったという感じですか?

岡崎そうですね。1年目はそんな余裕はなくて。仕事も初めてだし、そこでのストレスもあるし、家に帰ったら帰ったで、生活のストレスもある。ようやく2〜3年目から余裕も出てきて「こんな仕事もしてみたい」とか楽しめるようになりました。

福島ソニーには6年間いらっしゃって、結局辞めて起業を決断されたわけですけど、それはどういうことからですか?

岡崎いくつか理由はありますが、やっぱり高校生の時から犬とフリスビーをやってきて、犬のことに携わりたい、犬に関する仕事をやりたいという想いがずっとあったことです。それに私、起業したいとずっと思っていたんです。

福島いつ頃から思っていらっしゃったんですか?

岡崎中学生ぐらいです。私の祖父は味噌会社を経営していて、いつもおいしい物を食べさせてくれたり、どこかへ連れて行ってくれたり。それが格好よくて「社長になったら、あんなことができる」とずっと思っていたんです。でも、どうやったら社長になれるとか、そんなことは全然考えていなかったんですけど。

福島そういう想いも根底にあって、そろそろタイミングかなという感じだったんですね。

岡崎あとはやっぱりフルタイムで働くことが、体力的にちょっとしんどくなったというのもあります。

事故に遭ってからの10年間は、入院して復学して就職して、東京に出てきてと、ずっと走り続けてきたのですが、6年ぐらい経った頃から、ちょっと休みたいなということも思いました。毎日朝9時から夜まで働いていたんですけど、ちょっとここで1回休憩を挟んでもいいかな、という想いもあって。

未来は自分で選択できる

福島不安はありませんでしたか? ソニーという安定した大会社に入られて、先々もある程度読めるわけですよね。それを辞める。しかも起業というのは、やっぱり皆さん勇気の要ることで、岡崎さんの場合、車椅子ユーザーということもあって、より一層大きなハードルだったんじゃないかなと思うのですけど。

岡崎何で辞めるのかと、すごく聞かれました。でも、事故に遭って気付かされたことの一つが「人はいつ死ぬか分からない」ということです。もしかしたら明日死ぬかもしれないし、1年後かもしれない。それは誰にも分からないので、今しかないなら、今チャレンジしようと思ったんです。

それに体力面の不安も結構大きくて。この先40代、50代になって、朝から晩まで今の仕事量をこなせるかといったら、ちょっと無理だろなと思ったんです。その時期、キャリア形成の仕事もやっていて、構造改革も近くで見てきましたし。

福島ソニーが大変な時期も見てこられたわけですね。

岡崎大変な時期しか見てこなかったので。構造改革によって社内での居場所がない。でもソニーを辞めてこの先どうしたらいいか分からない、というような相談が結構多かったんです。

私自身も体力面で不安があり、40〜50代で辞めて事業を始めるとしたら、それこそさらにしんどいだろうと。それだったら、まだ体力のある若いうちがいいと思ったんです。

福島健常者もハンディがある人も壁を感じることなく働き、生活できる社会にするために必要なことについて、ご経験から感じられることはありますか?

岡崎やっぱり自分自身の気持ちが一番大切なのかな、と思いますね。起きてしまった事実というのは変えられない。事故に遭ってしまい、車椅子ユーザーになってしまって。これはもう変えられません。もちろん、この先医療がもっと発達すれば歩きたいとか、そういった希望は持っています。

でも、過去に起きた事実は変えられませんが、そこから先をどう生きるかという未来は、自分で選択できるんです。復学したいとか、就職したいとか、それは自分自身が思えば叶えられる。どうやったらできるかを真剣に考えれば、何とかできると思っています。

過去に囚われるよりも、どうやったら未来を自分のやりたいように過ごせるのか──。そう考えた方がいいということを、この10年ですごく実感しています。 (敬称略)

岡崎 愛子(おかざき あいこ)氏
1986年、大阪府生まれ。2005年、19歳の時に同志社大学に通学中、JR福知山線脱線事故に巻き込まれる。1両目に乗車し、奇跡的に助かったものの、頸髄を損傷する大怪我。首から下に麻痺が残り、車椅子ユーザーとなる。
2008年、ソニー株式会社に入社し、社員のキャリア形成、人材育成全般に携わる。支えとなってくれた犬に恩返しがしたいとの想いから、2014年2月に同社を退社。人と犬が生涯のパートナーとして楽しく暮らせる関係作りをサポートするため、ドッグトレーニングを学び、起業する。
現在は、人と犬の生活環境を変えて、問題行動を解決する専門家として活動中。2015年4月、著書「キャッチ! JR福知山線脱線事故がわたしに教えてくれたこと」(ポプラ社)を上梓。
福島敦子(ふくしま・あつこ)
ジャーナリスト / 津田塾大学英文科卒。中部日本放送を経て1988年独立。NHK、TBSで報道番組を担当。テレビ東京の経済番組や週刊誌「サンデー毎日」でのトップ対談をはじめ、日本経済新聞、経済誌など、これまでに600人を超える経営者を取材。現在、BSジャパンの経済番組「マゼランの遺伝子」のキャスターを担当。経済・経営の他、環境、コミュニケーション、地域再生、農業・食などをテーマにした講演やフォーラムでも活躍。上場企業の社外取締役や経営アドバイザーも務める。島根大学経営協議会委員。1997年にはワインアドバイザーの資格を取得。主な著書に「愛が企業を繁栄させる」(リックテレコム)をはじめ、「それでもあきらめない経営」「ききわけの悪い経営者が成功する」「就職・無職・転職」「これが美味しい世界のワイン」などがある。
URL: http://www.atsuko-fukushima.com/