地方発!世界で活躍する会社 Vol.25「冬枯れ」知らずの熱帯でこだわりのアイスを販売

有限会社高知アイス[高知県]

高知県吾川郡いの町下八川乙683

代表取締役 浜町 文也

TEL. 088-850-5288

URL. http://www.kochi-ice.com

アイスを届ける使命感が原動力

「メイドイン土佐」のコンセプトのもと、高知県の特産品を冷菓に取り入れ、海外進出に成功した高知アイス。同社の社長、浜町文也には心に刻み込んできた座右の銘がある。

「打たん太鼓は鳴らん」。少年時代、何かに悩んでいる時、母から必ずかけられた言葉だ。「行動したら何とかなる、やってみないことには始まらない。この言葉があったからこそ、これまでやってこれました」と浜町は振り返る。

浜町はカツオ一本釣りの基地、黒潮町の漁師の家に生まれた。中学卒業後、当然のように一本釣り漁の船に乗る。春先に港を出たら、秋が深まるまで戻れない。漁師2年目には猛烈なしけに遭遇し、船上で遺書を書いたこともあった。

21歳の時、結婚を機に船を下りてサラリーマンになった。人生を変える業務命令を言い渡されたのは入社5年目。百貨店の物産展に出店するに当たり、その担当者に任命されたのだ。販売品目は高知特産のあっさりした氷菓、アイスクリン。業者から仕入れて現地で販売すると、高知出身者にはとても喜ばれた。ところが、他県の人には全然売れない。3年後、黒字にさせるのは難しいと会社は判断し、事業撤退を決めた。しかし、浜町は…。

「買っていただいた方には礼状を出していたこともあり、その頃には、顔と名前が一致するお客さんが200人ほどもいたんです。やめればその人たちに会えなくなると、寂しさがこみ上げてきました」と当時の気持ちを明かす。思い込みが激しい性格だと言う浜町は「僕にはこれからもアイスクリンを届ける使命があるんじゃないか」とまで思ったという。この 『使命感』が出発点になった。

「仕入れて売る」から方向転換

浜町は突き動かされるように会社を辞め、物産展の事業を引き継いだ。生命保険の掛け金から借りた40万円を運転資金に開業。当初は配送センターの駐車場にトラックを停め、荷台に段ボールを敷いて眠り、宿泊代を浮かせた。1日が終わると、顔見知りの出店者たちが売れ残りのカツオのたたきや惣菜をくれたので、食べものには事欠かなかった。

バブルの時代には、年間25週ほど出店して声を枯らせば何とか生活ができた。しかし、バブルが弾けてからは、毎年のように前年度割れが続く。このままではジリ貧や…。現状打破のため、新しい味わいのアイスクリンを作ろうと、製造業者に話を持ちかけた。

「いまは四万十川ブームやき、四万十の水と高知の果物でアイスを作ったら必ず売れる。どうぞ作ってと、業者にお願いしたんですが、わしはそんなもん、よう作らんって断わられました。それで決意したんです。もう自分で作るしかないって」思い込んだら一直線。浜町はある物産展に出店した際、ドライアイスをわけてもらったデパ地下の人気ジェラード店店主に電話をかけた。

「僕はどうしても自分でアイスを作りたいんです。高知のおいしい果物を使った、今までにないアイスです。その強い思いがあるんですけど、ぼくは作り方をまったく知らないんです。どうか教えてください、とお願いしました。そしたら、いいよって言ってくれたんです」

浜町はすぐにその店に飛び、アイスの作り方をイチから学ぶ。教わることのすべてをノートに書き留め暗記した。10日ほどたった時、「今日は君が店を回してよ」と言われた。店主が見守るなか、無事に店を切り盛りすると、「もう十分やっていけるよ」と声をかけられた。

勇躍、高知に帰ってきた浜町。しかし、まだ大きな問題が残されていた。いざ作ろうにも、まだ作る場所を持っていなかったのだ。

尋常ではない行動力で邁進

作りたいけど、作れない。悶々とした日々を打ち破ったのは、やはり、持ち前の尋常ではない行動力だった。浜町はある日、美しく手入れされたモモ畑を見つける。作り手の情熱が伝わってくるよなあと、その畑が頭から離れなくなった。

「モモが実った時、失敬して1個食べてみたんです。そしたら、すごくおいしい。で、畑をよく見ると、けっこう広い。ああ、この片隅に工場を作って、このモモでシャーベットを作ったら…妄想がどんどん膨らんでいきました。いてもたってもいられなくなって、畑の近所の人に、持ち主は誰なのか聞きました」

浜町は持ち主の家を突然訪ねて、とんでもない直談判をする。自分はアイスクリンを仕入れて売っています。製造技術も学びましたが、工場がない。あなたのモモでシャーベットを作りとうてたまらんけど、作れんのです。そこで、あの畑の片隅に、僕の工場を建ててもらえんでしょうか。希望的には15坪ほど。月10万円なら家賃を払えます。製造設備は自分で調達します──。

相手は大いに面食らったものの、三度目の訪問時、浜町の人物を見込んで、「わかったわや。おまんのために建てちゃらあ」と言ってくれた。

1995年、浜町は念願の工場を手に入れた。以来、高知の素材にこだわったアイスを次々開発。2002年には商品デザインを一新し、バイヤーから注目されるようになって、一気に業績を伸ばしていく。

ユズ、フルーツトマト、土佐文旦、ポンカン、栗、天日塩、地鶏の土佐ジロー…。浜町が作りたくてたまらなかった「メイドイン土佐」のおいしいアイスは、全国にファンを増やしていった。

ユズを前面に海外で勝負

2007年、高知アイスは新たな展開に入った。アイスは冬場、売り上げが激減する。この冬枯れをカバーするため、年中暑くて裕福な層の多い国を開拓することにしたのだ。まず、ウェブサイト運営会社が主催する海外商談会に参加したが、攻めの営業とはいえないもので、浜町には物足りなかった。そこで、問屋に直接売り込みをかけることにした。

シンガポール伊勢丹の物産展をのぞいた時のことだ。「あれ、浜町さん?」と声をかけられた。声の主は21年前、関東の物産展で知り合った同い年の伊勢丹スタッフだった。「あの時、25歳で一番下っ端だったのに、現地の幹部になっていたんですよ」と浜町は嬉しそうに語る。これを機にシンガポール伊勢丹の物産展にたびたび出店するようになった。

海外での主力はユズ関連商品。「ユズはわさび、抹茶に次ぐ、第3のフレーバーになり得ます。試食販売や商談会で強く売り込むうちに、いつの間にか 『ユズアンクル(ユズおじさん)』って呼ばれるようになっていました」と浜町は笑う。

シンガポールで順調に販売を伸ばした浜町は、その勢いに乗ってドバイ、香港、タイ、マレーシア、アメリカ西海岸、オーストラリアなど、9ヵ国に販売ルートを開拓した。海外の売り上げは現在4000万円で、全体の10%を占める。「年々増えており、3年後には1億円の商いをしたいと思っています。大丈夫でしょう」と浜町は近い将来の展望を語る。

どんな壁が立ちふさがっても、必ず乗り越え、押しのけてきた浜町。これからも、大切にしてきた母の教えを守り、どんどん「太鼓」を打ち鳴らし、行動し続けることだろう。
(敬称略)