モーリ姐さんの“剣道一直線”(第1回)剣道をやりたい! 絶対にやらなければ!!

男の子になりたい

剣道を始めたのは7歳の時。学校から帰ると野球や基地作り、どろけい(泥棒と刑事)といった遊びを男の子に混じって真っ暗になるまで遊びまくっていた頃、そんな仲間の一部が剣道を始めた。その男子が通い始めた道場は今では考えられないが、なんと女子禁制で入門はかなわなかった。

男の子になりたいと思った。「男子がつけている“もの”を私もほしい。伊勢丹にいけば売っているだろう。買ってきてくれ」と親にねだったというエピソードを後に母が教えてくれたが、そのような言動の背景には女子だから道場に入れてもらえなかったこの時の体験があるのかもしれない。

親が竹刀を一本買ってくれた。自分で「少年剣道入門」という本を購入した。今でも覚えているが著者は伊保清次先生だった。どんなに偉大な剣道家か分かったのは、実はつい最近のこと。神田の剣道同好会の七段の先生が伊保先生に教わった形について語ってくださった。本のページを繰りながら見よう見まねで素振りを始めた。

それにしても防具をつけて相手を前にして、ちゃんと稽古をしてみたい。四谷で商売をしていた父親を訪問した時、一人でふらっと散歩に出歩いていると小学校の体育館から「やーやー」という声と竹刀がぶつかりあう音が聞こえてきた。

引きよせられると開いているドアから見えたのは、20~30人の少年剣士たちの稽古風景だった。

面がねの塗装の赤い塗料と太陽の反射の白い色が、交互に目に飛び込む。袴からはだしの足がのぞいてせわしなく上下左右に動き回っている。きちんとそろえて結んだ面紐が踊っている。

体育館のはじでは面も手ぬぐいも取り去った小学校低学年だろうか、小さな少年の頭から湯気が立ち上っている。少年の頬は真っ赤だった。竹刀がぶつかりあう音はうっとりするような小気味よさを奏でていた。

絶対にやらなければ!

何分間かわからないが、かなりの時間をかけてそのシーンに見入った。

黙想という甲高い声がかかると、それまでの喧騒がうそのように、凜とした静寂が訪れる。一直線に並んで正座した少年たちが、両手のひらを上に向け指を合わせ、目をつぶり瞑想を始めた。

剣道を本格的にやりたい、絶対にやらなければだめだと決心した。

この光景を見て何日後? 何カ月後だったか、通っていた小学校に剣道クラブができたので入部した。剣道クラブができたから入部したというより、剣道の心得がある先生に熱烈にラブコールを送り。剣道部を立ち上げてもらったという方が正しいように思える。当時の先生は二段だった。

今から思うとよくも二段で人に教えようと思ったものだと思うが、何しろ稽古する場や道筋を探していた私にとっては渡りに船。なんでもいいから教えてもらえるようになったことがうれしく、放課後の練習時間になると校庭や体育館に走って行って数人の生徒と一緒に竹刀をふった。

しばらくして親に防具を買ってもらった。赤い胴がほしかったのだが近所のスポーツ用品店には黒しかなかったから仕方なく妥協した。刺し子の胴着に紺の綿袴。その後何十年にも及ぶ剣道人生がスタートした。

毛利 祐子(もうり ゆうこ)◎ヤマダ電機法人事業本部インセンティブ管理部
剣道五段。剣道暦は30年以上。米国に留学していた3年間、そして日本で起業して多忙な時期に一時剣道から離れた以外は常に剣道が傍らにあった。剣道から離れた時期にはランニングで体力維持に努め、こちらも趣味が高じて、というか高じてもいないが、多いときで年間15レースものレースに出場した。現在はフルマラソンを含む年に5回程度。ヤマダ電機法人事業本部にて企業向け携帯電話などの商材商流の確立を担当。現在は平日朝ジョギングし、週末は東京や群馬県内で剣道の稽古という二足のわらじ生活。目標は4年後に受験資格がもてる剣道六段取得、マラソン3時間半切り。マラソンはうなぎのぼりに記録が伸びていた一時期を終えて、今は水平状態なのでサブ3.5の目標はかなり高嶺の花。