モーリ姐さんの“剣道一直線”(第2回)稽古に明け暮れた高校の三年間

シャニムメールマガジンの第1回で私の手記を掲載いただいたのは、ありがたくもあり恥ずかしくもある。

タイトルが「剣道一直線」となっていた。編集の方がそのように命名してくださったのだが、残念ながら自分の剣道の道は決して一直線でもなければ順調でもなく、はたまた常に喜びに満ちていたわけでもない。つまり、あまり人様に語ってご満足いただくものではないということである。

本稿の執筆の打診をいただいたとき「剣道が仕事にどのような影響を与えているか、良い影響を与えたか、といった観点で執筆しては」とのアドバイスをいただいた。何か役にたっているか? 集中力? 持続力? 判断力? アルコール分解力? 私の中で剣道がもたらした最高の能力は、最後のアルコール分解力のように思える。

大きなタイトルは皆無。高校時代の東京都大会は常にベスト4以上であったが、肝心のインターハイ出場は逃している。関東大会には出場したものの予選リーグで終わった。ここで少し高校時代の活動についてご紹介する。

中学で進路を考え出した頃、剣道部の監督兼国語の教師に相談した。「高校でめちゃくちゃ剣道をやりたい」と。都内では強豪校が二校ある、一つは私立の桜美林高校、もう一つは都立ながら東京都大会制覇という快挙を成し遂げていた保谷高校。

両親にどうしようかと相談すると「お金がなるべくかからないほうにいってくれ」とのことだったので保谷高校ということになった。当時、保谷高校の学力は中程度。自慢するわけではないが、勉強はもう少しできたので進路指導の教師からは「もう2ランク上の高校を狙っては」といわれたが、勉強よりも剣道をしたい一心だったので先生の話しには耳を貸さず保谷高校の受験を決めた。

合格発表があると中学の卒業式が終わるのを待たずに高校の剣道部の道場に顔を出し、先輩方、監督と顔あわせをした。するといきなり「着替えろ、防具つけろ」。先輩方と試合をしろというのだ。挨拶するだけだったがまさかの実戦。

しかし、それでもなんとかなるだろうと多少タカをくくって臨んだ試合。結果は先輩方の圧勝。今までの稽古はなんだったのか、少し前までの自信はなんだったのか。身も心もぼろぼろに打ちひしがれ、大泣きしながら家路に付いた思い出がある。

今でもこの日のことは当時の先輩方との思い出話に出てくるが、先輩方は逆に中学生が高校生に負けたのに泣き出したのでびっくりするやらあきれるやらしたらしい。ずうずうしいやつだとも思われたかもしれない。

4年制大学の体育会剣道部へ入門

高校入部の頃のエピソードをもう一つ。当時コーチ的な存在だったOBの先輩が他の指導員に「毛利という元気のいいやつが入部してきた。まだ声変わりしてないが」と伝えていたらしい。男の子だと思っていたようだ。しかも入部して数カ月経過していたのに。

面をつけていた時だけ会っていたのなら、性別不明なのはまだ分かる。だが、面をとって顔を合わせているのにまだ男の子だと思われていたのである。幼少の頃男の子になりたいと思っていたがこんなきっかけで、ほんの少しの間男の子になっていたとはなんとも皮肉なものである。

こうして辛口の高校剣道デビューを果たしてからの3年間は稽古にあけくれた。3年間で稽古をしなかった日はおそらく5日程度だ。つまり1年365日に近い日数稽古をこなしたわけだ。試験前1週間は部活禁止となっていたが、その間は監督の指示で外部の道場に行ったり、近隣小学校の体育館を借りて稽古した。

試験勉強は稽古後電車のホームで立ったまま教科書に目を通すといった程度。当然、当初よかった成績も坂道を転がり落ちるように悪くなったが気にならなかった。それでも大学受験もなんとかなるだろうと思っていた。そして、大学受験はもちろんなんとかならなかった。

なぜか知らないが理由の無い自信を持つことがある。これは剣道のおかげなのか天然の性分なのか分からない。希望する大学に落ちたので「こうなったら短大にでも行って早く社会に出て嫁にでも行ってしまおう」と思った。

そんな消去法の選択肢のように進んだ短大だったが、併設する4年生大学の体育館の前を通った時に竹刀がぶつかる音が聞こえてきた。引き寄せられるように音の方向へ行き、開いていた道場の窓から中を覗き込み剣道部の稽古にしばし見入っていた。早くて正確でぶれの無い打突。自分がこれまで習得した剣道より何枚も上であることは明白だった。

「剣道やってたの?」。声をかけられ振り返った時にいたのが、当時剣道部の主務の4年の先輩。「え?」と言いながらこの先何を言ったらどういう展開になるか秒速で頭の中で計算した。先輩はその間、私の回答を待たずぐいぐいと腕をひっぱって部室に連れて行き、気の遠くなるような臭いの部室のテーブルにかけさせた。10分後、青山学院大学体育会剣道部に入部していた。

短大生が4年制大学の体育会に入部できるのかも知らなかったが、主務の先輩によると「まったく問題ない」とのこと。

実は問題ないのは剣道部側で ほとんど4年分のカリキュラムを2年間で習得させようという短大側から見ると大変迷惑な話。結果は、部活の時間帯にある教科をほとんど欠席することになり、いくつもの教科について最低限に近い成績をもらい短大を卒業する羽目になってしまった。

大学剣道部に入部したものの、剣道以外の「遊び」にも目覚めてしまい、稽古に身が入らない。この時期の剣道はとても「一直線」であったとは言いがたい。剣道人生を振り返った時、1カ所だけやり直せるとしたら、この時期である。

勉強も中途半端、剣道も中途半端。私生活だって……。ご想像に任せる。この時期は自慢できるものが何もない。(続く)

毛利 祐子(もうり ゆうこ)◎ヤマダ電機法人事業本部インセンティブ管理部
剣道五段。剣道暦は30年以上。米国に留学していた3年間、そして日本で起業して多忙な時期に一時剣道から離れた以外は常に剣道が傍らにあった。剣道から離れた時期にはランニングで体力維持に努め、こちらも趣味が高じて、というか高じてもいないが、多いときで年間15レースものレースに出場した。現在はフルマラソンを含む年に5回程度。ヤマダ電機法人事業本部にて企業向け携帯電話などの商材商流の確立を担当。現在は平日朝ジョギングし、週末は東京や群馬県内で剣道の稽古という二足のわらじ生活。目標は4年後に受験資格がもてる剣道六段取得、マラソン3時間半切り。マラソンはうなぎのぼりに記録が伸びていた一時期を終えて、今は水平状態なのでサブ3.5の目標はかなり高嶺の花。