モーリ姐さんの“剣道一直線”(第3回)「日本」そして「剣道」っていいではないか!

やっと2回目を書いてシャニムの編集長に原稿を送ったと思っていたらもう次のを送れとつつかれる。世の中で連載の原稿を担当しているライターの皆様に「お疲れ様です」と言いたい。

何しろ本業がヤマダ電機、副業が剣道、副副業が晩酌、なので作文をする時間を確保するのが大変だ。

ゴルフの記事を寄せている鵜沼さんは盗難事件の報告をしてまんまと1回分クリアしている。私は防具を盗られた経験がないから鵜沼さんの真似はできない。

さて今回は何を書きましょう? 前回は高校卒業したあたりの時期の剣道との関わりあいについて書いた。順番なのでその後ことを記すのが筋であろうが、あまりつぶさに紹介すると何かと不便なので今に至るまでを風のようにさらっと振り返ってみようと思う。

米国留学後に剣道の魅力を再確認

短大の卒業後は就職、その後アメリカの大学に留学。心いくまで勉強して3年後に帰国。この間、剣道からは完全に離れた。帰国し荷物整理も終わり日本食に再び慣れ始めた頃、大学の道場に顔を出し始めた。後輩達と共に汗を流すのは新鮮だった。

部内では先輩は後輩をしごき、こき使うが、その分食事に連れて行き飲ませ食べさせる。礼儀作法という点では、道場の入り口で一礼して入る。稽古前に神棚に礼をする。和太鼓の音で稽古の開始終わりを告げる。剣道には「日本」が満載されている。

3年近く異文化にどっぷり浸かった後の日本は新鮮すぎて、軽く逆カルチャーショックも覚えた。

ところで米国の大学ではソフトボールチームに所属した。留学中は勉強一本だったといいたいところだがそこは悲しいサガ。剣道に出合う前は日々草野球に興じていた記憶が、グローブとバットを担いだ女の子たちの集団を目にした時にむくむくと蘇り、居ても立っても居られなくなったのだ。

アメリカの大学のソフトボール部。そこには日本の部活に見られる上下関係は一切なかった。先輩も後輩も監督もお互いをファーストネームで呼びあう。

先輩のキムから「飲みに行こう」と言われても「無理」と断れるし、「コーチのジュディーのテーピングは最悪だ」と本当のことを言っても構わない。ソフトボールのうまい人は崇められ、下手な人は声もかからない。コーチの采配に不服だと声高らかに表明したり、ローリーがなぜ先発で投げるのかと抗議したりする。 ?こんなこともあった。ノックの練習中に飛び上がってボールをキャッチしたら、着地の瞬間足が“ぐにゃっ”となった。太腿の筋肉の肉離れをおこし、しばらく松葉杖で試合に出られなかったことがある。

それでも仲間の試合には必ずかけつけ、観客席で松葉杖を振り回して応援していると、「自分がプレーできないのに、なぜ来てるのか?」と何人もの部員から聞かれる。まったく理解できない風であった。

日本ならプレーできない人も、部員なら必ず試合や練習で選手と一緒に汗を流し、選手のために仕事を率先してやる。だから怪我をして試合に出られなくても、応援に行くのは当然だろうと思っていた。それがわらないとは、なんという価値観の違いだろう。 ?

序列の考え方もかなり違う。日本の部活では例えば剣道部の合宿にOBとして行くと、学生があれやこれやと世話をしてくれる。稽古後お風呂に入っている間に稽古着は洗濯機には入っているし、出た途端にきちんとたたんだ着替えを手渡してくれる。

食事中にコップの水を飲み干すと「もう一杯ください」という前に注がれている。自分も、自分より上の先輩が目の前にいらっしゃる時は、一年坊主のように先輩のお世話をする側に回る。

現役時代は、やもするとうざったいと思っていたことのすべてが、新鮮で美しく見えてきた。日本っていいではないか! 剣道っていいではないか!!

毛利 祐子(もうり ゆうこ)◎ヤマダ電機法人事業本部インセンティブ管理部
剣道五段。剣道暦は30年以上。米国に留学していた3年間、そして日本で起業して多忙な時期に一時剣道から離れた以外は常に剣道が傍らにあった。剣道から離れた時期にはランニングで体力維持に努め、こちらも趣味が高じて、というか高じてもいないが、多いときで年間15レースものレースに出場した。現在はフルマラソンを含む年に5回程度。ヤマダ電機法人事業本部にて企業向け携帯電話などの商材商流の確立を担当。現在は平日朝ジョギングし、週末は東京や群馬県内で剣道の稽古という二足のわらじ生活。目標は4年後に受験資格がもてる剣道六段取得、マラソン3時間半切り。マラソンはうなぎのぼりに記録が伸びていた一時期を終えて、今は水平状態なのでサブ3.5の目標はかなり高嶺の花。