福島敦子のアントレプレナー対談エチオピアの「材」「技」「人」に着目
最高品質のレザー製品作りにまい進

株式会社andu amet 鮫島 弘子代表兼チーフデザイナー

株式会社andu amet(東京都渋谷区)

株式会社andu amet(アンドゥ・アメット)
●所設立:2012年2月
●資本金:500万円
●事業内容:皮革製品の企画・販売
●HP:http://www.anduamet.com/

合弁会社設立の経緯

福島鮫島さんは2015年にエチオピアに現地法人を設立。世界最高級のシープスキンを使ったバッグの企画・デザイン・製造・販売を手がけています。でも、もともとは日本でデザイナーをされていたそうですが、どんなお仕事だったのですか。

鮫島化粧品メーカーのハウスデザイナーでした。商品企画から担当していたので、「今年はこういう製品を出したら売れる」という企画書を作成して提案。OKがおりたら、そのデザインをして、コピーを書いて、値段をリサーチして、というような仕事をしていました。

時代が丁度、ファストファッションの出始めだったんです。短期間で流行り物をどんどんと作って出す。

最初のうちはお客様が手にとって喜んでくださるのを見てすごくうれしかったのですけれど、本当に短期間で大量の物をどんどん作っては出すということをしていくうちに、だんだん「これでいいのかな」と。一生この仕事を本当にしていくのかなと思うようになって。新卒で入社して3年目ぐらいのときですね。

福島確かに、気に入った口紅などをまた次に買いに行っても、「もう廃版になりました」といわれることが結構ありますね。

鮫島そうです。展示会に初めて行った時に、ものすごく広いスペースがすべて新製品だったんです。でも、次のシーズンにはそれは一つもなく、すべて次の新製品に変わっていました。「売れ残ったものどこへ行くのだろう」と不思議だったのですが、すべて廃棄されていることを知り「私が作っている物も、もしかしてゴミになるのかな」と。

このまま本当に一生この仕事を続けていくのかなと思った時に、ちょっと怖くなったんです。

援助することの功罪

福島それで会社をやめられたのですね。でもその後、青年海外協力隊に応募されたというのはちょっと意外な感じがしました。どういう思いでいらっしゃったのですか。

鮫島やっぱりデザイナーの仕事は好きだったんです。私は数学も苦手だし、スポーツも苦手。物を作っている時が一番楽しくて。

でも、自分がやっていることに罪悪感を抱き、どういう方向に行けばいいか分からなくなっていました。自分がやっていることは限りある資源から、きれいなゴミを作っているだけ。その罪悪感をぬぐいきれずにいましたし、社会の役に立っている人たちをうらやましいと思っていたんです。

そんな時に、青年海外協力隊の経験者の方とお会いする機会がありました。その方にデザイナーという職種もあるということをお聞きして、それだったらやってみようかなと。

福島青年海外協力隊といえば、間違いなく人に役に立つ仕事をしているという印象がありますからね。

鮫島私もそう信じていました。でも、現地へ行ってみると、実は援助が現地の人たちのやる気をスポイルしている側面もある、という実態を目の当たりにして、すごくショックを受けたんです。

もちろん現地の人の役に立っている側面も多々ありましたが、私が派遣された場所は援助がずっと入っている場所で、人々が働かなかったんですよ。本当にずっと座ってお茶を飲んでいるだけ。私だけがカリカリして働いていて。

「あれ? 会社やめて、悩んで悩んで、ここに来たけれど、これって逆に彼らを不幸せにしているんじゃないのかな」と。五体満足で働ける人たちを「援助がないと生きていけないようにしてしまったのは誰だ」というふうに思ってしまって。私はそういうふうに引っかかると、前に進めないところがあるんです。

でも、家に引きこもっているわけにもいかないし、援助漬けの派遣先を飛び出して、民間の人といろいろな仕事を勝手にやるようにしたんです。それで分かったことは、援助漬けで怠けた人ばかりでないということ。民間にはすごくやる気がある人がいっぱいいて、才能があるけどチャンスがない。そういう人とできることがあるな、ということにだんだん気がついたんです。

エチオピアの良さを再発見

福島一緒に活動する民間の方たちとのネットワークは、どうやって築いていったのですか。

鮫島最初のきっかけは、エチオピアでファッションショーを開催したことです。赴任当初は、エチオピアは途上国なので粗悪な素材ばかりで、物作りは難しいと思っていましたが、2年ほど住んでいるうちに、非常に素晴らしい素材があることに気づきました。

工芸品などのデザインも日本とはまったく違いますし、エチオピアにしかないトラディショナルな、いろいろとインスピレーションを与えてくれるものがたくさんある。それを活用できる場としてファッションショーを思いついたんです。これならみんなが楽しめるし、エチオピアの素材をフル活用できるからです。

福島どんな感じのファッションショーだったのですか。

鮫島本当にエチオピアの人たちが、すごく喜んでくれました。それまでもファッションショーはあったことはあったのですけれども、お金持ちの外国人をターゲットにした、美女を見るためのエンターテインメントのような感じでした。

そうではなく、エチオピアの人に来てもらい、エチオピアでのデザインや物作りの可能性について、みんなで一緒に考える場にしたいという思いがすごくありました。エチオピアには素晴らしい素材やデザイン、伝統の技術がある。それをもう一回見直そうというコンセプトです。

ターゲットもエチオピア人で、開催場所もエチオピア。最初は反対していたエチオピア人もいましたが、最後には「トラディショナルな物を使って新しい可能性を示してくれてありがとう。こんなことができるエチオピアのことを誇りに思う」と感謝されました。

誰かに依存するのではなく、エチオピアにある素材だけを用いて、自分たちでハンドメイドする。エチオピアの材料と技術と人でこれだけの物ができるというのが分かったことで、私自身、ものすごく達成感がありました。

作った人たちもすごく誇らしげ。その後の即売会では買ってくれた人も、唯一無二のものが手に入ったととても嬉しそうでした。その時に、こういうことを仕事でできるんじゃないのかな、と思ったのが起業の原点ですね。

愛されるか・愛されないか

福島それからすぐに起業されたわけではなく、一旦日本に帰られたんですよね?

鮫島私はそれまでデザイナーしかやったことがなかったので、ビジネスというものがきちんと分かっていませんでした。

どういう製品を作ろうか、どういうコンセプトにしようか、ということはいくらでも思い浮かぶのですが、「お金をどこから調達するか」や「物流はどうするか」「販売チャネルはどうするのか」とか、そういうことになると全然進まなかったんですね。

事業計画書の書き方すら分からなくて。それで、もう少しビジネスの修行が必要だと思い、フランス系ラグジュアリーブランドの日本法人に勤めました。

福島その会社では、どういうお仕事をされていたんですか。

鮫島マーケティング部に所属しました。一般社員ではありましたが、そのブランドのマーケティング戦略はもちろん、PRから営業、物流や販売員さんへの教育など、ビジネスの色々な流れを見ることのできるポジションでした。そこでビジネスが本当に初めて分かってきました。

福島まさしく修行の場になったんですね。

鮫島はい。しかも自分にとって大きな収穫だったと思うことは、モノを捨てる・捨てないとか使う・使わないの判断は今の時代、「頑丈さ」ではなくて、「愛されるか・愛されないか」だということに、気付かせてもらったことです。

そのブランドが開催したあるイベントに、古いバッグを持った若いお嬢様がいらっしゃったんですね。お話を聞くと、そのバッグはもともとお婆様がお使いになっていて、それをお母様が受け継ぎ、彼女が20歳になった時にお母様から譲られたと。長く使われているけれど、でも、お手入れされ大切にされていることが伝わってきました。

そのお嬢様もお母様も「いいモノ」だと思っているんですね。これが長く愛用されるための重要なファクトだなと感じました。例えば100円ショップのプラスチックのマグカップでも、簡単には壊れないですよね。でも愛されなければ、壊れなくても簡単に捨てられてしまう。

愛してもらえれば、大切に扱われて、受け継がれていく。そういう物を作りたいんだということに気づいたのは、エチオピアではなくて、その会社に入ってからなんです。

自社工房設立で透明性を確保

福島エチオピアのシープスキンには、青年海外協力隊で赴任していた頃から注目していたのですか。

鮫島エチオピアレザーの素晴らしさは、渡航前からある程度調べて知っていました。ところが実際に現地で見て、最初は全然いいと思わなかったんです。だから当初、まったく気にしていませんでした。

でもファッションショーの準備をしていた時、素晴らしいレザーをたまたま目にすることがあったんです。よくよく聞くと、レザーでもコーヒーでも何でも、途上国ではいい物は輸出されて換金されてしまい、国内には残らない。皮肉なことにエチオピアに住んでいたからこそ、エチオピアのいいレザーをそれまで見る機会がなかったんですね。

当時は原皮の状態で、屠殺されて、まだ濡れているような生の状態で、イタリアなどに輸出されていました。そしてイタリアでなめされると、それは世界中の人がリスペクトするイタリアンレザーになるんです。

福島原料がエチオピアのシープスキンだということを、ほとんどの人は知らないわけですね。

鮫島日本人は知らないですよね。さらには原皮だけ出しているので技術も育たないし、付加価値が低くお金も落ちない。

それを初めて知って「これは何ともったいないんだ」と思いました。みんなが憧れるヨーロッパのブランドのように、加工・製造までをエチオピアでやらなければいけないと、その時はなぜか正義感に燃えてしまったんです。

福島エチオピアでは工場も立ち上げられましたが、かなりのご苦労がおありだったんじゃないですか。

鮫島工場というか、本当に小さな工房です。この事業自体は2010年からやっているのですが、当初はエチオピアに自社工房を持っておらず、エチオピア人のパートナーとやっていました。彼の地では、外資が会社を設立するには20万ドルが必要などハードルが非常に高くて。

ただし、私たちはエシカルをコンセプトにしているので、透明性が非常に重要なんです。そのためにはやはり、自社ですべてをハンドリングできないといけない。

現地の元パートナーと協業していた時に、実は透明性に疑問を感じることが多々出てきまして、「このままではやっぱりまずいぞ」ということから、腹をくくって2015年に自社工房を作ったんです。きちんと自分たちで末端まで管理できる仕組みを作らないと、エシカルを標榜しているのに、将来的な不安の種になりかねない、ということです。

 

「andu amet」とは!?

福島もともとエシカルを意識されての起業だったのですか。

鮫島そうですね。本当にいい物って何だろうと考えた時に、例えばデザインがオリジナルであること…デザインの世界は模倣が多いのですが、そうではなく唯一無二であること。あるいは素材が天然の素晴らしい物であること。また、臭いや感触など五感で楽しめるような物とか。

いろいろなコンセプトを考えていた時に、フェアであることや環境に配慮しているといったことも、次世代に求められる本当にいい物の要素の一つだと思ったんです。目には見えない製造過程も、美しく最高級であれば、お客様も持っていて満たされるでしょうし。

福島いろいろな資料を拝見すると、鮫島さんはエシカルを前面に打ち出した物作りだけでは持続しない、ビジネスとして成長しないという思いも、非常に強く持っていらっしゃると感じたんですけれども。

鮫島いろいろ読んでくださって、ありがとうございます(笑)。確かに、エシカルであることを重視している一方、それを店頭などでアピールはしていません。

アフリカやアジアで作られているエシカルを標榜したブランドって、既に国内外にたくさんありますが、自分がこれだけアフリカが好きでも、これはと思うものが少なくて、なかなか手が出ないんですよ。やっぱり「自分が本当にいいと思う物」しか持ちたくないので。

今の私たち日本人のライフスタイルでは、たくさん持っているとカッコいいとか、もうそういう価値観ではありませんよね。持っている物の数は少なくても、それが素晴らしい物である方がカッコよく見えるし、自分も幸せという時代ですよね。そういう中で、やっぱり「エシカルだけどデザイン性が低く質の悪い」物にはなかなか手が伸びない。

その一方で、エシカルであることは自分にとっては大切な美学でもあるし、ビジネスの実利面でも、これからの時代はそれを捨てては会社が大きくならないということもすごく思っており、その両方がありますね。

したがって、本当にいい物を作って、それがいいから買っていただく。「いい」の中にはもちろんエシカルも含まれるけれど、それは声高にすることではない。それよりも「このバッグ、本当に色がかわいいよね」とか「触っているとふわふわして気持ちいいね」とか「手が込んでいるよね、オンリーワンだよね」と思ってもらいたい。

そうやって選んでいただいた上で、「エチオピアのフェアトレードの工房で丁寧に作られて、環境にも配慮されていて、関わる人がすべて幸せになれるビジネスモデルなんだよ」と背景にあるストーリーを知ってもらい、「本当に大切にしたいバッグです」とお客様におっしゃっていただきたい。そういうことを深く追求していきたいと思っています。

福島社名の「andu amet」は、エチオピア語で「ひととせ」を意味すると聞きました。どういう思いを込めていらっしゃるのですか。

鮫島ありがとうございます。やっぱり私には、長く大切に使ってもらえる物を作りたいという思いが根底にあります。それはエシカルブランドとしてそうあるべきだという美学でもありますし、自分が時間をかけて丁寧に作った物が、長く人に愛されてほしいという思いでもあります。これは自分自身のエゴになってしまうかもしれませんけれど。

例えば化学繊維の洋服は買った瞬間が最高で、あとは劣化するだけですが、レザーは年を経ればむしろよくなる。大切に使いこむことで味わいが出て、さらに素敵になっていく本当に数少ない素材だと思うんです。

そういう素材で作った私たちの製品をお客様のそばにいつも置いていただき、お客様の隣でひととせ、ひととせ一緒に年を重ねさせていただきたいと、そう思うんです。パートナーになれるような物を作りたいという思いを込めて名付けました。

福島まさに鮫島さんの物作りに対する思いが、この社名に凝縮されているのですね。

鮫島ええ。時の積み重ねよりも、美しくて価値があるものはないと思っています。自分の人生を振り返っても幸せだった時間とか、その後のつらかった時間も含めての今が、やっぱり本当に一番美しくて価値があるものだと思っているので、その時の積み重ねという思いを込めて付けた名前です。(敬称略)

鮫島 弘子(さめじま・ひろこ)氏
デザイナーとして化粧品メーカーに勤務後、2002年から青年海外協力隊員としてエチオピア、ガーナで活動。帰国後、外資系ブランドのマーケティング部に勤務しつつ、起業の準備をスタート。2012年、エチオピアシープスキンを使ったレザーブランド「andu amet(アンドゥ・アメット)」を設立。2015年、日系企業としては3社目となる現地法人をエチオピアに設立。2012年「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー キャリアクリエイト部門賞」、2013年「APEC女性イノベーター賞」、2015年「カルティエChange makers of the year」他多数受賞。
福島敦子(ふくしま・あつこ)
ジャーナリスト / 津田塾大学英文科卒。中部日本放送を経て1988年独立。NHK、TBSで報道番組を担当。テレビ東京の経済番組や週刊誌「サンデー毎日」でのトップ対談をはじめ、日本経済新聞、経済誌など、これまでに600人を超える経営者を取材。現在、BSジャパンの経済番組「マゼランの遺伝子」のキャスターを担当。経済・経営の他、環境、コミュニケーション、地域再生、農業・食などをテーマにした講演やフォーラムでも活躍。上場企業の社外取締役や経営アドバイザーも務める。島根大学経営協議会委員。1997年にはワインアドバイザーの資格を取得。主な著書に「愛が企業を繁栄させる」(リックテレコム)をはじめ、「それでもあきらめない経営」「ききわけの悪い経営者が成功する」「就職・無職・転職」「これが美味しい世界のワイン」などがある。
URL: http://www.atsuko-fukushima.com/