地方発!世界で活躍する会社時代の役目を終えた帆布が、
ブランド戦略で再生、海外へ!

株式会社バイストン[岡山県]

岡山県倉敷市曽原414-2

代表取締役 武鑓 篤志

TEL. 086-485-2112

URL. http://www.baistone.jp/

廃業寸前から、新たな挑戦へ

「帆布(はんぷ)」とはどんな布なのか? こう聞かれて、答えられる人は少ないかもしれない。しかし、体育用マットや跳び箱の最上段に使われている素材だと知れば、「ああ、あの白くて丈夫な布か」と懐かしさを覚えるのではないか。

「縦糸と横糸を交互に交差させる平織りによる厚手の綿織物。これが帆布の定義で、英語ではキャンバスと呼びます。天然繊維のなかでは最も丈夫なことから、時代によっていろいろなものに使われてきました」

岡山県倉敷市(旧児島市)にあるバイストンの武鑓篤志(たけやりとくし)社長は穏やかな口調で話す。同社は歴史ある帆布製造会社の丸進工業とタケヤリが2003年に出資して創立した企画販売会社。自社製品のブランド化に成功し、親会社近くにある本店のほか、観光客が集う倉敷美観地区にも店をオープン。海外の著名見本市などにも積極的に出展してきた。

一見、順風満帆のようだが……武鑓は自社のホームページで、会社創立当時のことをこう記している。

「工場を畳み、商業施設かなにかに作り替えて新しい道を模索するか。帆布の力を信じて、もう一度頑張ってみるか。二つの極端な選択肢を目の前にしたとき、浮かんだ思いは後者でした」

親会社が廃業寸前にまで追い込まれ、もう後がない状況で立ち上げられたのがバイストンだった。

帆布のピークは昭和30年代

バイストンのルーツは1888年(明治21年)、武鑓の曽祖父が児島で織物業を始めたことにある。児島は江戸時代に造られた干拓地域で、稲が育ちにくいことから、塩気に強い綿花の栽培が奨励された。織物業も盛んになり、なかでも厚手の綿織物を得意とするようになった。

現在も、日本の帆布製造の中心は児島地区で、全国生産量の7割を占める。

児島の帆布は、江戸時代には主に足袋の底地となり、明治以降は軍服やテントなどに使われた。戦後もトラックの幌をはじめ、道具鞄の「雑のう」、牛乳配達用の袋、貨物列車のカバーなど、様々な分野で活躍。昭和30年代、帆布は最盛期を迎えた。

しかし、40年代になると、より安価な化学繊維が帆布の代替え品となっていく。追い打ちをかけたのが、1972年の沖縄返還だ。返還の代わりに繊維の輸出規制が決まり、帆布も輸出がストップ。国内外で逆境にさらされ、帆布業界は衰退していく。

武鑓が帆布の世界に入ったのは1990年。大学卒業後、大手百貨店に11年勤めた後、父が社長を務める丸進工業に入社した。

「当時、自社の完成品はなく、糸を仕入れて帆布を織り、紡績会社や商社に収めていました。斜陽産業ではありますが、バブルの恩恵を受けて、割合忙しかった。しかし、バブル崩壊後、注文が急速に減りました」

会社の業績が下がる一方の1990年代半ば、武鑓は社長に就任。その途端に、取引先の倒産騒ぎに巻き込まれ、大きな不渡りを出してしまう。以降3年、債務超過が続いた末、とうとう銀行から最後通告を受ける。

廃業するか否か、考えざるを得ない頃、武鑓は自社の帆布がブランド品のバッグに姿を変え、高値で売られていることを知る。武鑓はこの事実に衝撃を受けた。実はそれまで、取引先に収めた帆布の用途を正確には把握していなかったのだ。

「自分たちが廃業寸前にまで追い込まれている一方、うちの帆布を使って利益を上げているところがある。うちも素材だけではなく、最終製品を作ってみたい、という気持ちが湧き上がってきました。駄目だったら、工場を全部売却すればいい。それで借金は返せる。覚悟を持って、挑戦してみようと思いました」

武鑓はルーツを同じ武鑓家とするタケヤリに声をかけた。自分たちの帆布で新しい商品を作り、自分たちで売って勝負をかけようと──。こうして、バイストンは誕生した。

「倉敷帆布」の名でブランド化

素材作り専門だった下請け工場が、自社製品をブランド化する。相当困難なテーマだが、ここで武鑓の百貨店勤務の経験が生きた。

「ブランドバッグなどを扱っていたので、ブランディングの方法は理解しています。ブランドにはそれぞれ歴史がありますが、帆布にもある。同じものを100年以上作ってきたというのは、どんなにお金があっても買えない強みだと思います」

武鑓は曽祖父の時代から携わってきた帆布の力を信じた。ブランド化に向けて、まず動いたのはイメージ作りだ。商品を統一するネーミングを「倉敷帆布」に決め、そのマークを商標登録した。

ブランドの顔として、ショップ作りも急いだ。経済産業省の補助金を使って、昔使っていた古い倉庫をリノベーション。レトロな雰囲気が漂う、いかにも帆布の販売拠点らしいショップがオープンした。

商品作りについては、外部のプロダクトデザイナーを採用し、帆布ならではの特性を活かしてほしいと依頼した。プレゼンテーションされたのは、キッチン用具などのアイデアあふれるアイテム。帆布の新しい可能性を感じ、武鑓は胸が躍った。

「倉敷帆布」という大きなくくりのもと、日用品やメンズ、婦人、高級品など五つのブランドを立ち上げ、日用品は百貨店、尖ったアイテムはセレクトショップなど、ブランドごとに販売先を変えた。こうしたブランディング戦略により、「倉敷には倉敷帆布がある」と認知度は順調に上がっていく。

海外進出でブランド力アップ

国内での展開に手応えを感じた武鑓は、海外に目を向ける。2010年から3年続けて、パリで開催されるインテリアの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展。「ブランド価値を高めることが目的でした。バイストンの商品が、海外でどのように評価されるのかを知りたかった」と武鑓は意図を語る。

この出展により、現地のニーズをキャッチ。家庭で大きなオーブンが使われていることから、鍋つかみの生地を一層厚くするといった改良につなげることができた。ヨーロッパのセレクトショップなどとの取り引きも実現。加えて、大きな成果は広告効果だった。

「 “海外で使われるメイド・イン・ジャパン”とテレビで紹介された時には、ネット通販のサーバーがダウンしたほど。倉敷帆布の知名度を上げるのには大変役に立ちました」

ヨーロッパでの経験を活かして、現在、進出を目指しているのが東南アジアだ。昨年はバンコクの展示会に出展して好感触を得た。完成品だけではなく、ジーンズの素材としても売り込めないかと、アメリカ市場もターゲットに設定しているという。

「帆布でこれだけのものを作れるところは他にありません。ニッチな分野ですが、世界を視野に入れると市場がぐっと広がります。これで食べていけるんちゃうかな、という感触は持っています」

帆布と共に、廃業寸前の危機から立ち上がった武鑓。国内外に向けて、いままでにない斬新な商品提案は続く。(敬称略)