ひな人形の変革者!ふらここ・原英洋社長伝統とは時代に合わせて変革させるもの
それがなければ後世へは伝承できない

 5月31日発行予定のシャニム63号は、現在順調に編集作業を進めています。次号の「福島敦子のアントレプレナー対談」には、ひな人形・五月人形業界の変革者・ニューウェーブとして、幼子を持つ若年主婦層から絶大なる支持を得ている株式会社ふらここの原英洋社長にご登場いただきます。

 原社長の祖父は、人間国宝の人形師。その三代目という血筋ながら、自らが目指す人形創り・人形ビジネスの確立を目指して2008年に独立。ふらここを創業したという情熱的な経営者です。ひな人形創りにおけるその作風は、冒頭の写真のように、赤ちゃんのような顔をした、どこまでも可愛らしいもの。ひな人形といえばこれまでは、細面の大人びた美人顔が定番でしたが、原社長はこうした作風は時代に合わないとして、自らの道を切り開いたパイオニア的存在です。

 そのきっかけは両親が経営していた人形店に務めていた時代のこと。従来の主流であった「ひな人形は祖父母が孫のために買うもの」という購買パターンがどんどんと薄れ、若い母親が我が子のために買うというスタイルが主流になってきたことを現場で実感したからだといいます。

 それに伴い好まれる商品にも変化の兆しが。大型の段飾りからコンパクトなもの。そして美人顔から可愛らしい顔へと変化しつつあることを敏感に感じ取ったそうです。そこからの経緯は63号でじっくりとお読みいただくとして、ここでは対談の最中にお聞きした、「なるほど」と思ったこぼれ話を紹介しましょう。

1000年の歴史「ひな祭り」。しかし段飾りの歴史はわずか100年

 原社長によれば、ひな人形・ひな祭りの歴史はすでに1000年超とのこと。そして多くの人が、この1000年間、「人形の顔は細面の美人顔。飾り付けは豪華な段飾り」という現在のスタイルが続いてきたと勘違いしているそうです。

 しかしながらこのスタイルが定着したのは明治に入ってからで、わずか100年ほどの歴史しかないとのこと。それまでまったく異なるスタイルだったひな人形を、明治期の人形業界のパイオニアが大胆に変革。そのスタイルが今も続いており、多くの人に1000年間の歴史の重さだと錯覚させているわけです。

 そもそもひな祭り自体も、今は女の子の初節句との意味合いが強いのですが、こうした文化が始まったのも江戸時代。それ以前は子どもを対象としておらず「あらゆる女性のお祭り」との位置づけだったそうです。

 江戸期や明治時代にひな祭りの意味合いや形式を変えたのは、いずれも当時の商人。その根底には「人形を売りたい」という気持ちが強かったはずだと、原社長は分析しています。そして、その時代の人達に新しいひな祭りが受け入れられ、普及したからこそ、結果として人形が売れ、その文化が平成の世にまで受け継がれた、と語っていました。もしも江戸期や明治時代に商人がひな祭りを変革していなかったら、今の時代にひな祭りは残っていなかったかも知れないというわけです。

 そして明治時代の変革から約100年。ひな祭りは今、再び変革期を迎えているようです。大型の段飾りは、大家族が当たり前だった時代ならば、その飾り付けが家族の一大イベントでしたが、核家族化が進行した現代にそぐわないことは確か。それよりも若い母親が一人で難なく飾る付けられるコンパクトな、ふらここのひな人形が支持を集めているのは当然の結果ともいえるでしょう。

 原社長は「新しいものを創り出すことは、我われのような伝統を守っていく者の務め。そうしなければ伝統は続かない」と断言していました。伝統を守ることとは「先代から受け継いだものを、そのまま後世に伝えること」だと解釈しがちですが、それはどうやら大きな間違い。そのことを、ひな人形変革のまっただ中にいる原社長から直にうかがっただけに、かなりの説得力を感じました。(征矢野毅彦)